大切にしたい「共に」の心
2004年5月11日「オギャー」と産声を上げてから、普通は家族と共に一生が始まっていきます。
友達と共に遊び、先生と共に学び育ちます。
職場の同僚と共に仕事をし、恋人や妻と共に新しい人生を拓いていきます。
このような時、「共に」という言葉になぜか心がホッとすることがありませんか?
自分も大切に、そして相手もあるいはそれ以外の何かも大切にという気持ちが出てくるのを感じませんか?
では反対に「共に」の心が私達の気持ちから忘れられると、どのようなことがおきるのでしょう?
ちょっと考えてみました。
例えば、恋人と「共に」を忘れてしまうと、どうなるのでしょう?
新しい考え方や行動や喜びなどが生まれるチャンスの芽がつぶれてしまいます。
「ついて来い」「ついて行く」の関係でなく、
「幸せにします」「幸せにして」でもなく、
あなたが彼女の前を、また後ろを歩くのでもなく、
「共に」横に並び、前を見つめて歩いていけるといいですね。
そのような姿は素敵だと思います。
「共に」の気持ちを忘れると「謙虚」な姿勢が消えて、
「俺が・・・」「俺が・・・」となってしまうんですよね。
大切にしたい「○○と共に」の心は、
互いにいたわりあい、認めあい、補いあい、バランスを取りながら
より強く、安定し発展していく心のように思うのです。
最近、この心を忘れかけていました。
忘れかけたものを呼び戻してくれたのは、とある人の影響です。
(残念ながら名前は出せない)
そのとある人は、何もかも素晴らしいとてもいい子です。
5月になってから、ずーっと思っていたことを、
今日、文章(作文)にしてみました。
友達と共に遊び、先生と共に学び育ちます。
職場の同僚と共に仕事をし、恋人や妻と共に新しい人生を拓いていきます。
このような時、「共に」という言葉になぜか心がホッとすることがありませんか?
自分も大切に、そして相手もあるいはそれ以外の何かも大切にという気持ちが出てくるのを感じませんか?
では反対に「共に」の心が私達の気持ちから忘れられると、どのようなことがおきるのでしょう?
ちょっと考えてみました。
例えば、恋人と「共に」を忘れてしまうと、どうなるのでしょう?
新しい考え方や行動や喜びなどが生まれるチャンスの芽がつぶれてしまいます。
「ついて来い」「ついて行く」の関係でなく、
「幸せにします」「幸せにして」でもなく、
あなたが彼女の前を、また後ろを歩くのでもなく、
「共に」横に並び、前を見つめて歩いていけるといいですね。
そのような姿は素敵だと思います。
「共に」の気持ちを忘れると「謙虚」な姿勢が消えて、
「俺が・・・」「俺が・・・」となってしまうんですよね。
大切にしたい「○○と共に」の心は、
互いにいたわりあい、認めあい、補いあい、バランスを取りながら
より強く、安定し発展していく心のように思うのです。
最近、この心を忘れかけていました。
忘れかけたものを呼び戻してくれたのは、とある人の影響です。
(残念ながら名前は出せない)
そのとある人は、何もかも素晴らしいとてもいい子です。
5月になってから、ずーっと思っていたことを、
今日、文章(作文)にしてみました。
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